仙台高等裁判所秋田支部 昭和35年(う)72号 判決 1960年7月27日
被告人 齊藤定男
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
弁護人の控訴趣意第一点、被告人の控訴趣意(事実誤認)について。
所論は、要するに被告人の佐藤恒吉に対する本件暴行行為の結果同人が死亡するに至つた因果関係を否定し、本件は傷害罪を以つて論ずべきであるというのである。而して原判決挙示の証拠によれば、被告人が佐藤恒吉外二名と昭和三四年九月二三日午後六時頃から原判示場所で飲酒中、原判示のごときいきさつから立腹の余り食卓の上にあつた空どんぶりを以つて右佐藤恒吉の左後頭部を一回強打し同人に対し頭部に三ヶの割創を負わせたこと、同人が同月二五日午後六時一五分頃原判示場所で心臓衰弱による肺水腫により死亡するに至つたことが認められるところ、所論において援用する各証拠特に原審裁判所の証人斎藤義夫に対する尋問調書、鑑定人医師本間耕平作成の鑑定書によれば被害者佐藤の蒙つた頭部創傷三ヶは、原判示のごとく顱頂部より後頭部にかけて長さ一・五糎、三・五糎、二糎の何れも骨膜に達する割創であるが、頭蓋骨骨折、頭蓋内出血等を伴わない約二週間の安静加療を要する程度の傷害で、原判示の致死の結果とは直接因果関係があると断定し難いことが認められる。
併しながらある行為が原因となつて或る結果(致死)が発生したと認められる場合、その行為(暴行による傷害)自体がたとえ致命的なものでなかつたとしても、他の原因(特殊事情)と相まつて右結果(致死)を生ぜしめた場合には、その者が行為当時その特殊事情を予測できたと否とを問わずその行為と結果との間に因果関係を認めることができるといわねばならない。(最高裁判所昭和二二年(れ)二二号、同年一一月一四日第三小法廷判決、同裁判所同二四年(れ)二八三一号・同二五年三月三一日第二小法廷判決参照)
而して原判決挙示の証拠によれば、被告人の空どんぶりによる一回の打撃により、どんぶりが八ヶに破れていること(証第一号)、受傷の際前記傷口より相当多量の出血をしていること(この点は特に司法警察員作成の実況見分調書により認められる犯行現場に残された血痕の附着状況及び事件発生直後現場に赴いて応急の止血処置を講じた看護婦見習横尾アツの司法巡査に対する供述調書により認められる応急手当の状況等より優に推認することができる)、被害者佐藤恒吉が飲酒酩酊していたとはいえ右打撃によりその場に昏倒したこと、したがつて被告人の右空どんぶりによる打撃は相当強いもので、創傷の程度も決して軽視できないこと、原判示のごとく当夜象潟町内及びその附近在住の医師が医師会に出席して不在であつたため、被害者佐藤が自動車に乗せられ数時間引廻された後、医師斎藤義夫により一応の手当を受けることができたがその後適切な治療をうけず、翌々日(二五日)午後バス及び汽車に揺られて山形県酒田市の自宅に帰つたが、その間車中で胆石様発作の症状を呈する等身体の消耗を来たす悪条件が累積し、心臓の衰弱を惹起したことが認められる。したがつて被告人の前記佐藤恒吉に対する暴行行為が、右認定にかかる各悪条件と相俟つて同人をして原判示のごとく心臓衰弱による肺水腫により死亡せしめる原因となつたことが明らかであるから所論は失当であり、原判決には他に事実の誤認を窺うべき事由は存しないから論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第二点(量刑不当)について。
しかしながら記録によつて確認できる被告人の経歴、特に前科、本件犯行の動機、態様、罪質、その他諸般の事情を考量すれば、所論のごとき情状(致死の結果につき因果関係を否認する部分を除く)を斟酌しても原判決の量刑(懲役一年)が重きに失して不当であると認めることができないから論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却し、同法第一八一条第一項本文により当審における訴訟費用は被告人の負担とし主文のとおり判決する。
(裁判官 松村美佐男 小友末知 石橋浩二)